京都地方裁判所 昭和60年(ワ)1289号 判決 1986年12月22日
原告
京都信用保証協会
右代表者理事
松尾賢一郎
右訴訟代理人弁護士
寺田武彦
被告
株式会社東京都民銀行
右代表者代表取締役
塩路一郎
右訴訟代理人弁護士
上野隆司
高山満
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一二月一日以降支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 請求原因
一 訴外京都中央信用金庫(以下訴外金庫という)の被告に対する損害賠償請求債権
1(一) 訴外金庫は、別紙約束手形目録(一)記載の手形一通(以下本件手形という)を所持していた。
(二) 訴外株式会社原宿ニット(以下原宿ニットという)は本件手形を振出した。
2 訴外金庫は、本件手形を支払期日である昭和五八年一一月三〇日支払場所に呈示したが、被告は、付箋に「仮処分決定」のためと理由を記載してその支払を拒絶した。
3 被告の右支払拒絶は、違法であり、被告の過失に基づくものである。
即ち、
(一) 被告は、昭和五八年一一月三〇日当時、原宿ニットとの間で、原宿ニットが振出した約束手形の支払事務処理の委託を含む当座勘定取引契約(包括的基本契約)を締結していた。
(二) 被告は、釧路地方裁判所帯広支部から、次のとおり支払禁止仮処分の決定を受けた。
記
(1) 当事者
債 権 者 原宿ニット
債 務 者 森 茂樹
第三債務者 被告
(2) 事件番号
昭和五八年(ヨ)第四九号
(3) 決定年月日
昭和五八年九月二七日
(4) 主文内容
(イ) 債務者は別紙目録記載の約束手形に対する占有を解いて、釧路地方裁判所帯広支部執行官にその保管を命ずる。
執行官は右約束手形の権利保全の行為をすることができる。
(ロ) 債務者は別紙目録記載の約束手形を支払場所に提示して、権利を行使し、又は裏書譲渡その他一切の処分をしてはならない。
(ハ) 第三債務者は、右約束手形に基づき支払をしてはならない。
(三) 前記仮処分は、原宿ニットにおいて、一部の支払銀行が、右のような仮処分が発令された場合に、手形の支払呈示をした者が仮処分債務者であるか否かを問わず、その手形の支払を全て拒絶し、かつ適法な支払呈示がなかつたものとして手形交換所に対する不渡届の提出もしないという取扱をしていたのを利用し、手形金相当額の異議申立金を支払銀行に預託することなく不渡処分を回避する目的で、仮処分債務者森茂樹と結託して手形詐取という虚偽の事実を理由として仮処分を申請し、これを得たものである。
(四)(1) 被告は、右原宿ニットの不正な意図を承知又は認識し、本件手形の支払拒絶が手形所持人(訴外金庫)の権利を侵害することになることを知りながら、原宿ニットと共に画策し、又は原宿ニットの画策に協力同調し、本件手形の支払を拒絶したものである。
(2) 前記仮処分は、仮処分の当事者以外の者である訴外金庫に対しては効力が及ばないから、被告は、訴外金庫からの本件手形の支払呈示に対し、原宿ニットと被告との間の前記支払事務処理委託契約に基づき支払をなすべき義務があるのに、「仮処分の存在」を理由に本件手形の支払を拒絶したものである。
(3) 仮に、被告の主張どおり原宿ニットから本件手形につき支払委託の撤回があつたとしても、かかる場合支払銀行である被告としては、その撤回の実質的理由(本件においては、原宿ニットの代表者の説明どおりなら、詐取である)に基づいて、いわゆる第二号不渡届を提出し、もし原宿ニットが不渡処分を免れたいというのであれば異議申立金を預託せしめて異議申立手続をするべきであつたのに、被告は、不渡届を出さず、「仮処分の存在」を理由に本件手形の支払を拒絶したものである。
4(一) 本件手形の支払期日であり支払呈示日である昭和五八年一一月三〇日時点において原宿ニットが被告に預金していた当座預金残高は、本件手形の額面である金三〇〇万円以上あり、本件手形は決済可能であつた。
(二) 原宿ニットは、昭和五九年三月二六日第一回の手形不渡を出し、同年四月三日取引停止処分を受けた。
(三) 訴外金庫は、本件手形についての被告の前記支払拒絶により、本件手形金の支払を受けることができなかつた結果、同手形の額面金である金三〇〇万円の損害をこうむつた。
5 よつて、訴外金庫は被告に対し、不法行為による損害賠償として金三〇〇万円及びこれに対する右不法行為の為された日の翌日である昭和五八年一二月一日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払請求債権を有することになつたものである。
二 訴外金庫の損害賠償請求債権の原告への移転
1 原告は、訴外グローリーグロー有限会社(以下グローリーグローという)の委託により、昭和五七年一一月三〇日同社との間で、同社が訴外金庫三条支店から元本金一七〇〇万円の範囲内で手形割引を受けるについて、同社のために信用保証協会法に基づく信用保証を行う旨の信用保証委託契約を締結した。
2 グローリーグローは、前記信用保証に基づき、昭和五七年一一月三〇日訴外金庫との間で、元本極度額金一七〇〇万円・利率年九%・弁済方法手形満期日弁済との約定により、手形割引に関する取引契約を締結した。
3 グローリーグローは、訴外金庫との間の前記手形割引取引契約にもとづいて手形割引を得たが、その後、本件手形を含め四通の割引手形(額面合計金六五〇万円)が不渡となり、それにもかかわらずグローリーグローは訴外金庫に対して弁済をしなかつた。そこで原告は訴外金庫に対して、昭和五九年五月一八日元本金六五〇万円、遅滞利息金二二万〇九三〇円の合計金六七二万〇九三〇円を代位弁済した。
4 よつて、原告は、訴外金庫に対する前記代位弁済に基づき、訴外金庫が有していた本件手形上の権利及び本件手形に関する前記損害賠償請求権のすべてを代位取得し、その結果、本件手形を現に所持し、かつ被告に対する前記損害賠償請求権を有している。
三 よつて、原告は被告に対し前記請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。
第三 請求原因に対する答弁と主張
一 請求原因一項の事実中、
1(一)の事実は不知、(二)の事実は認める。
2の事実は認める。
3(一)(二)の事実は認め、(三)の事実は不知。
(四)(1)の事実は否認する。
(2)の事実及び主張のうち、本件仮処分がその当事者以外の者である訴外金庫に対しては効力が及ばないことは争そわないが、その余の事実及び主張は争う。
(3)の事実及び主張中、被告は不渡届を出さなかつたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。
(被告の主張)
イ 被告は、昭和五八年九月二九日午前一〇時三〇分ころ、被告城東支店において、原宿ニットの代表者の村木八郎から、本件手形など仮処分決定の出された手形につき支払委託撤回の意思表示を受けた。被告が訴外金庫の呈示に対し本件手形の支払を拒絶した理由は右支払委託の撤回である。
ロ 被告が、支払委託の撤回に基づき手形の支払を拒絶する際、如何なる事由を付して手形を返還するか及び不渡届を提出するか否かは、手形交換所に加盟している銀行間の内規というべき手形交換所規則及びその運用によつて処理される性質のものであるから、手形の呈示者に対する関係において違法性や過失を問題にされる性質のものではない。
ハ 被告の本件手形の支払拒絶は、本件仮処分決定の包括的支払禁止文言のもとにおいて、かつ昭和五八年当時の状況下において、諸々の調査を短時間内に行つたうえで、金融機関が通常認識していたであろうと同じ認識のもとに、通常金融機関がしているのと同じ処理をしたものであり(石井眞司・住田立身著「不渡処分の先例と実務」一〇七ないし一〇八頁参照)、また被告は訴外金庫に本件手形金の支払義務を負担する法的立場にもない。
ニ よつて、被告が訴外金庫の呈示に対し本件手形の支払を拒絶したことに何ら違法・過失の点はない。
4の事実中、(一)の事実を否認し、(二)の事実は認め、(三)の主張を争う。
訴外金庫は、本件手形の支払が拒絶された後原告から代位弁済を受けるまでの間、本件手形金の回収のための努力を全くしていない。振出人である原宿ニットに預金が一〇〇〇万円もあることを知つていた、というのに、仮差押手続をとろうともしていない。内容証明による催告書一本すら出していない。因みに、原宿ニットが第一回の手形不渡を出したのは、本件手形の支払期日を過ぎること約四カ月後の、昭和五九年三月二六日である。訴外金庫は、本件手形金回収の途があつたのに何らの回収努力もしないで放置しておいたのであるから、手形の支払担当者にすぎない被告に対し、手形額面相当の損害が生じたとしてそのしわ寄せをするような権利の行使をすることは許されない。それを代位承継したとする原告の請求も不当という外はない。
5の主張は争う。
二 請求原因二項の1ないし3の事実は不知、4の主張は争う。
第四 証拠<省略>
理由
一表面のうち名宛部分を除くその余の部分の成立は当事者間に争いがなく、表面のうち名宛部分及び裏面の全部は<証拠>によれば、訴外金庫は、グローリーグローから、被告交付にかかる手形用紙を用いて作成された本件手形を割引によつて取得し所持していたことが認定でき、原宿ニットが本件手形を振り出したこと、訴外金庫が本件手形を支払期日である昭和五八年一一月三〇日支払場所に呈示したが、当時原宿ニットとの間に締結した当座勘定取引契約(包括的基本契約)により原宿ニット振出の手形の支払事務処理の委託を受けていた被告が、「仮処分決定のため」という符箋をつけて本件手形の支払を拒絶したことは、当事者間に争いがない。なお<証拠>によれば、被告は、本件手形の支払拒絶が東京手形交換所規則(昭和六〇年四月二二日改正施行前のもの)六三条一項但書、同細則七七条一項(いわゆる〇号不渡事由)に該るとして、右手形交換所に不渡届を提出しなかつたことが明らかである。
二そこで、被告の右支払拒絶ないし不渡届不提出の違法性について検討する。
1(一) 手形振出人との間に当座勘定取引契約を締結している支払銀行は、右手形振出人に対し右契約及び加盟手形交換所規則・細則の遵守義務を負い、また右手形交換所に対しても(内部規律の問題として)右規則・細則の遵守義務を負うけれども、呈示手形の所持人に対しては契約上の義務を負つていない。
(二) しかしながら、現代社会において大量の手形取引が重要な役割を果たしていることは今更言うまでもなく、このような手形の信用は、支払銀行の関与する手形交換所規則・細則所定の取引停止処分を含む不渡処分制度によつて支えられているといつても過言ではない。手形を取得しようとする者は、支払銀行が、正当の理由なく支払拒絶をしないこと及び(手形の振出人から特定の手形につき支払委託を撤回する旨の申出を受けた場合には)右規則・細則所定の手続を遵守すること(そうすれば不渡処分制度の威嚇により安易不正な支払委託の撤回を防圧することができる)を信頼して手形を取得するのである。そして、もし支払銀行が、自らの得意先である手形振出人の利益を擁護するに偏し、正当な理由なく手形の支払を拒絶しあるいは手形振出人から支払委託の撤回の申出を受けた際右規則・細則を遵守しないとすると、手形取引が著しく阻害されることが明らかである。そうしてみると、支払銀行は手形振出人の支払事務受託者の地位にとどまらない公共的な役割をも担つているというべく、また手形の支払拒絶がその性質上手形の権利行使を妨げかつその価値を低下させるという債権侵害的要素を孕んでいることをも考え併せると、支払銀行が、手形振出人による手形金支払債務の不履行ないし手形所持人の手形債権の侵害に積極的に加担した場合はもとより、裁判所から仮処分決定を受けて支払権限を制限され又は手形振出人から確定的な支払委託撤回の申出があつて支払権限が消滅したなどの正当の理由がないのに手形の支払を拒絶した場合にも、支払銀行の支払拒絶は、手形所持人に対する関係において民法七〇九条の違法性を帯びるものと解するのが相当である。また、手形振出人から支払委託撤回の申出があつても、それが確定的なものではなく、支払銀行の対応如何によつては手形振出人が支払委託の撤回をやめ手形金を支払う高度の蓋然性があると認めるに足る特段の事由がある場合において、支払銀行が不渡処分制度の趣旨を没却する重大な前記規則・細則の違反をして手形の支払を拒絶したときは、右の規則・細則の不遵守自体が前同様民法七〇九条の違法性を帯びるものと解するのが相当である。
2 そこで本件についてこれをみるに、
(一) まず、本件仮処分につきその実情を検討するに、
<証拠>によつて認定できる事実は以下のとおりである。即ち、
(1) 本件手形の振出人である原宿ニット(所在地は東京都渋谷区内)、受取人であるワークル株式会社(以下ワークルという、所在地は京都市内)及び第一被裏書人であるグローリーグロー(所在地はワークルと同じ)は、いずれも繊維製品の製造および販売を業とする会社であり、ワークルと原宿ニットとは取引関係にあり、ワークルとグローリーグローとは、実質的には一体の会社であつた。
(2) ワークルとグローリーグローは、本件手形についての仮処分決定が出される直前の昭和五八年九月一九日に第一回の手形不渡を出して事実上倒産し、その後、ワークルは翌二〇日の第二回不渡により同月二四日に、グローリーグローは同月三〇日の第二回不渡により同年一〇月四日に、各々銀行取引停止処分を受けた。
(3) 本件手形の振出人である原宿ニットは、ワークルとグローリーグローの倒産直後の同年九月二七日、帯広市大通り一二丁目八番地訴外森茂樹を債務者とし、被告及び訴外東海銀行を第三債務者として、本件手形を含む別紙約束手形目録(二)(三)記載の合計二三枚の手形(額面合計金四九〇〇万円、支払場所は東海銀行原宿支店又は被告城東支店)について、手形の取立・支払禁止などを求める仮処分を、釧路地方裁判所帯広支部に申請した。申請書の理由欄には、昭和五八年八月中旬ころ債務者の要請に応じ、流通に使用しない見せ手形として手形を貸したにもかかわらず、返還約束の同年九月二〇日になつても手形を返却しない旨記載されている。また、提出された疎明資料中、原宿ニット代表者村木八郎作成の報告書には、債権者は、債務者の依頼により本件手形を含む合計二三枚の手形を同人に貸し渡したなど記載されており、また債務者作成の手形借用書二通中には「本手形は拓銀に呈示するだけで決して他に流用致しません。本年九月二〇日迄に必ず返却致します」など記載されている。
(4) 本件手形は原宿ニットがワークルに対し振出交付したものであつたうえ、債務者は昭和三四年以来松戸市に、昭和五〇年四月からは同市金ケ作四三番地に居住しており、前記帯広の住所は偽りのものであつたから、右仮処分申請は、虚偽の理由と疎明資料により裁判所を欺いて仮処分決定をとろうとしたものであつた。しかし、裁判所は、右事情を知る術もなく、申請当日の九月二七日、保証金一五〇〇万円(これは手形額面合計金四九〇〇万円の約三分の一にあたる)で後記仮処分決定を出し、これは二日後の九月二九日午前九時三五分被告城東支店へ送達された。
(5) 右仮処分決定は、当事者を、債権者原宿ニット、債務者森茂樹、第三債務者被告及び訴外東海銀行とし、主文を、
(イ) 債務者は別紙目録記載の約束手形に対する占有を解いて、釧路地方裁判所帯広支部執行官にその保管を命ずる。
執行官は右約束手形の権利保全の行為をすることができる。
(ロ) 債務者は別紙目録記載の約束手形を支払場所に呈示して、権利を行使し、又は裏書譲渡その他一切の処分をしてはならない。
(ハ) 第三債務者は、右約束手形に基づき支払をしてはならない。
とするものであつた。(以上のことは当事者間に争いがない。)
(6) 原宿ニットは、前記仮処分決定の送達(九月二九日)から数日後の一〇月五日、債務者森茂樹が千葉県松戸市金ケ作四三番地に住所を変更したとして、その旨前記裁判所に上申するとともに、同月一七日右債務者の同意による担保取消の申立をし、前記裁判所は翌一八日担保取消決定を出し、これは同月二五日原宿ニットの代表者に対し交付送達されている(したがつて、このころ、原宿ニットは前記保証金一五〇〇万円の返還を受けているものと推認できる)。なお仮処分債権者原宿ニットから、その後仮処分申請の取下・執行解放はなされていない。
以上の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。
そして右事実に照らすと、原宿ニットは、取引先のワークルが倒産したため、自己振出手形の支払を免れるとともに、支払銀行において、右のような仮処分決定が発せられた場合に、手形の支払呈示をした者が仮処分債務者であるか否かを問わず、その手形の支払を全て拒絶し、かつ手形交換所に対する不渡届の提出もしないという取扱をする例もあつたのを利用し、手形金相当額の異議申立金を支払銀行に預託することなく不渡処分を回避する目的で、仮処分債務者森茂樹と相謀り虚偽の理由と疎明資料で仮処分を申請し、裁判所を欺いて本件仮処分決定を得たものというべきである。
(二) 次に、被告が本件手形の支払を拒絶し不渡届を提出しなかつた経緯についてみるに、
前記認定事実、<証拠>によれば、原宿ニットの代表者村木八郎は、本件仮処分決定が被告城東支店に送達された昭和五八年九月二九日、自らに送達された仮処分決定を携えて右支店に赴き、応待に当つた同支店次長らに対し、「仮処分決定をとつた、本件手形を含む一一通の手形の支払をしないようにしてもらいたい」と申し入れたこと(なおその際、右村木八郎は、この手形はワークルの社長に騙されて取られたものであるとも話している)、そこで被告城東支店は、本店、東京手形交換所、被告と同様第三債務者として仮処分決定を受けた東海銀行に問い合せたうえ、原宿ニットから本件仮処分決定を理由に右各手形につき支払委託の撤回がなされたものとみて、かつ右の場合がいわゆる〇号不渡事由に該るものと考えて、不渡届を提示しないで右各手形の支払を拒絶することに決め、右方針を前記村木八郎に通知したうえ、九月三〇日満期の額面四〇〇万円の手形、一〇月一七日満期の額面二五〇万円の手形、一一月三〇日満期の額面三〇〇万円の本件手形など一一通(額面合計金二四〇〇万円)の手形の支払を順次拒絶したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(三) そこで、被告の本件手形の支払拒絶ないし不渡届不提出の違法性について判断するに、
(1) 原告は、請求原因一項3(四)(1)において、被告が原宿ニットの不正な意図を知りながら原宿ニットと共同し又は原宿ニットに協力同調して本件手形の支払を拒絶したのであるから右支払拒絶は違法である旨主張するけれども、支払拒絶の経緯は前記認定のとおりであつて、右「共同」及び「協力同調」の事実は証人田中仁の証言を含む本件全証拠によつても確と認めるに至らないから、原告の前記主張は前提事実を欠き採用できない。
(2) 原告は、請求原因一項3(四)(2)において、被告が仮処分債務者でない訴外金庫に対して効力の及ばない本件仮処分決定を理由として本件手形の支払拒絶をしたことが違法である旨主張するところ、なるほど、本件仮処分決定は仮処分債務者でない訴外金庫に対しては支払禁止の効力もまた訴外金庫による本件手形の呈示を不適法にする効力もないから、仮に、被告が、本件仮処分決定により支払権限が制限されているとして、また訴外金庫による本件手形の呈示が適法な呈示でないとして、本件手形の支払を拒絶したものであるならば、それは正当な理由のない支払拒絶として違法性を帯びるけれども、前記認定のとおり、被告は、原宿ニットによつて本件手形の支払委託が撤回されたとして支払拒絶をしたものであり、本件仮処分決定の効力自体ないし本件手形の呈示が不適法であることを理由として右支払拒絶をしたものではないのであるから、原告の右主張もその前提事実を欠き採用できない。
(3) 原告は、請求原因一項3(四)(3)において、仮に原宿ニットから支払委託の撤回があつたとしても、被告が不渡届を提出しないで支払拒絶をしたことが違法である旨主張する。
(イ) なるほど、被告が、本件手形の支払を拒絶するに際し、それがいわゆる〇号不渡事由に該るものと考えて不渡届を提出しなかつたのは、不渡処分制度の趣旨に反する重大な手形交換所規則・細則の違反であつたといわざるを得ない。
蓋し、被告は、本件仮処分決定の第三債務者であつたから、自らの責任において本件仮処分決定の効力を判断すべき立場に置かれていたものである。そして弁論の全趣旨によれば、被告は、本件仮処分決定が債務者以外の者に対しては支払禁止の効力を有せず、債務者以外の者からの支払呈示を不適法とする効力をもつものでもないことを認識していたことが看取される。そうしてみると、原宿ニットが本件仮処分決定を理由として本件手形等の支払委託を撤回したのであつても、被告にとつては右理由の正当ならざることが明らかなのであるから、被告としては、「仮処分決定」を理由とするのではなく、原宿ニットの代表者の説明にしたがい「詐取」を理由としいわゆる第二号不渡届を提出すべきであつたからである。
なるほど、一般的には、支払銀行は、手形振出人が支払委託を撤回する理由として述べる不渡事由をそのまま受け入れて形式的に手続をすれば足り、右不渡事由の真否等の調査義務を負うものではない。しかし、本件においては、被告自身本件仮処分決定の第三債務者であつたのであるから、原宿ニットの述べる不渡事由即ち「仮処分決定」をそのまま受け入れて形式的にいわゆる〇号不渡事由に該当するとして処理したのは正当でない。本件は、手形振出人が、第三債務者として手形の支払禁止の仮処分を受け(なお支払銀行は右仮処分の当事者ではない)、支払銀行に対し仮処分決定を理由として支払委託の撤回を申し入れた場合に、支払銀行において右仮処分決定の存否や効力について調査義務を負わないため不渡事由を「仮処分決定」としいわゆる〇号不渡事由に該るとして処理しうる場合(乙第一号証の一ないし四の石井眞司・住田立身著「不渡処分の先例と実務」一〇七ないし一〇八頁のケース)とは、事案を異にするのである。
(ロ) しかしながら、原宿ニットが裁判所を欺いて本件仮処分決定をとることまでして異議申立金の預託を回避しようとしたことや、仮処分の保証金として一五〇〇万円を供託していたこと、異議申立金を預託するとすればその金額が右一一通の手形全部で二四〇〇万円にも及ぶことなど前記認定の諸般の事実に照らすと、原宿ニットの本件手形を含む合計一一通の手形の支払委託の撤回は確定的なものであつたとみるのが相当であり、仮に被告において「詐取」を理由とするいわゆる第二号不渡届を提出することとしその旨原宿ニットに通知していたならば、原宿ニットが支払委託の撤回をやめて本件手形を含む一一通の手形(額面合計二四〇〇万円)の支払をした高度の蓋然性があると認めるに足る特段の事由は認められない。
そうしてみると、被告としては、原宿ニットによる支払委託の確定的撤回により被告の本件手形等の支払権限は消滅したものとして、その支払を拒絶するの外はなく、被告が本件手形の支払を拒絶したことには正当な理由がある。
そして、被告の手形交換所規則・細則不遵守の点は、それが前記のとおり不渡処分制度の趣旨に反する重大な違反であつたとしても、原宿ニットの支払委託の撤回により本件手形の支払拒絶が不可避であつた(そしてこの支払拒絶により訴外金庫の手形債権に対する妨害ないし侵害が惹起した)以上、右規則・細則の不遵守自体によつて訴外金庫の手形債権に対する新な妨害ないし侵害が惹起することはないと考えられるから、これをして違法ということはできない。したがつて原告のこの点に関する主張も採用できない。
三よつて、その余の主張について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官重吉孝一郎)